レイチェルからレイチェルから風が涼しい。 そう気づいたのは、一講目も終わりに近づいた午前十時過ぎ。 風の流れてくる方向に眼をやると、グラウンドのずっと奥にある雑木林が、 うっすらと霧に包まれていた。 半径1㎞に位置する家々は、もうすでにここからは見えない。 この風に蠢いているだろう葉の動きも、風の棲み家までは教えてくれそうになかった。 夏もオシマイかな…。 何があったわけでもないのに妙に感慨深くなるのは、 この季節が原因だとタカシは想う。 芸術とか食欲とか、秋を修飾する言葉は沢山あるけれど、そのどれも嘘くさい。 この、ナントも云えず寂しい雰囲気や、 ボンヤリしてたら音もなく過ぎ去ってしまうほど短い時間を感じる感覚にこそ、 意味がある。 と、物知り顔で巡らせてみるものの、 文句を並べつつこんなにも季節の変わり目を満喫できる本当の理由は、 この講義のせいだった。 つまらなさ過ぎて、空想にふけったり、考えごとをする以外、 有効な時間の活用法はこれと云って見つかりそうもない講義。 はっきり云って、かなり裏切られた気持ちで、この教室にもう半年近くも坐っている。 周囲に訊こえないよう、小さく長い溜息をついた。 この春、レイチェル・カーソンは、タカシにとってだんとつの存在だった。 没後三十年になる彼女の人生と、その著書について書かれた新聞の特集記事を三月頃に読み、 そこからヒントを得て提案したものが、 アルバイト先の番組企画会議で本決まりになり、つい先日、 放送になったばかりだった。 「環境汚染啓発の先駆者であった彼女が日本を訪問した際にそばを食した」 との記事から引っ張った、『そばを通して環境を見つめ直す』という、 無謀なまでに強引なストーリー展開。 もっとも、言葉じりほどお堅い内容ではない。 意外性や面白みを膨らませるため、 「日本のそばが縄文時代に中国へ渡り、時を経て十字軍と共にイタリアへ運ばれたのでは?」 との仮定を立てた。 現在「そば」と呼ばれているモノの起源は、縄文時代の日本だ。 若者の間でのそば人気は、ここ数年で一気に定着した。 けれども、イタリアで、田舎のおふくろの味としてそばが親しまれてきたことは、 殆ど知られていない。 環境汚染に伴い、イタリアを含む様々な地域で、 水の奇麗な土地でしか生産できないそばの生産自体が、難しくなってきている。 そのそばが生育可能な土壌を呼び戻そうと、 イタリアの若者たちが動き出しているのは、以前から知っていた。 別に、その新聞記事から一瞬にして思いついたわけじゃなかった。 そんなにクリエイティヴな人間じゃない。 そばが好きなことと、何より、イタリアに行ってみたかった。 それが目的だった。 楽しく、しかもタダでイタリア渡航可能な方法を本気で探していたら、 たまたま、運良く一緒に連れて行ってもらえたのだ。 だから、彼女の著作「沈黙の春」の原文を題材にして、 一年間講義を受けられるということ、つまり講義そのものに、 とてつもない運命を感じていた。 そして、イタリアに行くことができたお礼に、彼女の著書を、 キチンと読もうと思っていた。 それなのに。 蓋を開けてみると、英語で書かれた原文をただひたすらに訳していくだけの九十分間。 和訳箇所については、事前に各担当者がセンテンスごとに指名されるため、 その数行の予習さえしておけば、もうそれで終わり。 しかも学生がものの2~3秒言葉に詰まると、 「こんなのもわからないのか」 といったふうに、容赦なく講師が和訳をしていく。 彼は三十代前半のはずなのに、不思議なほど生気がない。 よほど面白くないのか、もしくは英語が嫌いなんじゃないかと疑うくらいに、 つまらない表情をしている。 以前、九十分間ずっと彼を見ていたことがあるが、眼が合わないどころか、 一度も顔を上げなかった。 それ以来、タカシは講義にまともに参加したことがない。 少なからずショックを受けたからだ。 一番楽しみにしていた筈の時間が、卒業単位取得のためだけのような、 このうえなくつまらない時間となってしまった。 動機が不純だったバツか? と感じるほど、純粋な性格でもない。 けれど、その時間の過ごし方もすぐに覚えた。 毎週一度、四階の同じ席から眺める同じ景色。 少しずつ変わっていく季節の匂いや色、風や空・雲などを感じること。 予習をしてこない他の学生と何も変わらないかもしれない。 今日は、担当でなかったせいもあり、気づくとずっと放心していたらしい。 わずかに薄紫色を帯びた風が、灰色の空と重なって、 もうすぐ来そうな雨の匂いを、ここまで運んでくる。 右手に握ったボールペンの芯を出したり閉まったりしながら、 残り時間を確かめている自分。 机についていた左肘がジンジンと痛い。 もし天才だったら、こういう時間に、 何か凄い計算式や世界経済の構造を発見するんだろうか、と意味もなく考える。 こういう時間も悪くないと感じるあたりに、 タカシの楽観主義が垣間見られて、自分でも笑ってしまう。 半袖のシャツの袖と裾から入ってくる風が、わき腹のあたりで交じり合い、 鼻がムズッとした。 土曜の午前。 グラウンドと雑木林の間のテニスコートには、まばらに学生が走り回っている。 こらえた欠伸の涙で滲んで見えるその中に、杏子を発見した。 軟式のラケットを2本小脇に抱えている。 どんよりし始めている空気に映える、白いスポーツウェア。 彼女たちの声が、この教室まで訊こえた気がした。 寺嶋杏子。 テラシマキョウコ。 小学校の同級生だった。 はきはきとした子で、ちょっと生意気なところもあったが、嫌いではなかった。 学級代表や児童会などに係ったり、学芸会や合唱コンクールでも、 いつも目立つ存在だった。 それが、タカシには近づき難かった。 杏子が転校するまでの5年間、ずっと同じクラスだったが、 特に仲が良かったわけではない。 どちらかというと、性格は正反対だったと思う。 杏子をはじめとする、クラスのリーダー的グループと、 自分の所属していたそれに付いていくタイプのグループとは、根本的に、 遊びも男子と女子の関係も違っていた。 少し軽蔑していたような記憶もあるが、本当は羨ましかったのかもしれない。 お世辞にも積極的とは云えない自分を認めつつも、 他人の長所を素直に受け入れられない性格。 それが、小学校時代のタカシだった。 ストレートに表現される、好きとか嫌いといった気持ち。 何にでも物怖じせずに飛び込んでいく姿勢。 同人数の男子と日曜日にスケートに行ってしまうとこ。 放課後、夕陽に伸びた自分たちの影を追い駆けながら帰っていく声。 ちゃんと掃除してよ、と机を運びながら怒る表情。 負けず嫌いで、絶対にゴメンとは云わない。 好きな奴のケンカの仲裁に入って、殴られて泣いたこと。 いろんなことが突然に思い出される。 そういえば、ホラこれ見て凄いでしょ、 とスカートの下のブルマを見せびらかしてたこともあったっけか。 あれは確か、小学校1年生の時だ。 なんだコイツと思ったのは、それが最初だった。 とにかく、気づくと先生さえも彼女にリーダー権を与えてしまうほどの勢いがあった。 その彼女が同じ大学の、違う学部に所属していると知ったのは、 入学して半年を過ぎた頃だ。 「チョットいいだろ」と、高校からの友達、顕一がそう付け足して紹介してきたのが、 杏子だった。 耳の高さで後ろに小さくまとめた黒い髪と、紫色した、 針金のような縁の眼鏡。 ベージュのコーデュロイジャケットに、細身の色が落ちかけた黒いジーンズ。 肩から下げている異様にデカい鞄が、やたらと目につき、 何が入ってるのかと気になった。 血行の良さそうな顔で、笑ったら可愛いのかもしれないけれど、 ずっと、食い入るように自分を見つめているから、少し怖いカンジがした。 たぶん、こういうのを整った顔立ちと云うんだろう。 こんな子、文学部にいたか? と一瞬思ってしまうほど、 雰囲気は文系の生徒だった。 初めましてでも、こんにちはでもない。 「大野?」と出し抜けに彼女は訊いてきた。 突然に訊こえた声は、タカシの記憶を一気に十数年前へと引き戻す。 「寺嶋か?」 「やっぱり、大野だ。なんか見たことあるカンジだと思ったんだよねぇ。けどビックリ。お洒落んなったね」 ヘンな気がした。 タカシが感じているほどの驚いた様子もなく、杏子は旧知の仲のように、 凄く親しげな笑顔で話しかけてきた。 やっぱりよくわかんない奴だったんだ。 再会して改めて実感する。 普通はもっと驚いた反応をするのじゃないだろうか…? でも、昔より柔らかい雰囲気が漂うその姿カタチから、 彼女もまた女性であることを認識させられ、照れくさい心境になってしまった。 結局、その呆気ない再会を祝して、顕一と杏子の三人で学食に行って食事をした。 それにしても、なんであんなに普通に会話ができるんだろう。 勿論、見覚えがあったから、覗き込むような表情だったのはわかる。 でも…、あんまりに感動が薄い。 薄すぎる。 人懐こそうな眼をして話しかけてくれたのは、嬉しかった。 でも…、だからって。 タカシの疑問は必要以上に膨らみ続けていた。 特に仲が良かった訳でもないのだから、そんな反応で当然といえば、 当然なのかもしれない。 それなのに、どうしてこんなに腑に落ちないのだろう。 そんな自分自身の、予想外の反応にも驚いていた。 あれからもうすぐ三年。これといって彼女を気にかけたこともないし、 構内でばったり、ということもなかった。 まぁ、彼女の所属する建築科の校舎が、 ここから車で三十分も離れている場所にあるのだから、 偶然にも出会うことのほうが確率としては低い。 そして、その確率の低さに比例するようにして、 あれほど気になっていた互いの反応も、いつの間にか忘れていった。 気になって眠れなかったこともあったなと、 テニスコートでボールを追いかけている杏子の姿を見て、タカシは可笑しくなった。 設計などに使用する道具やペーパーが入っているというあの馬鹿デカイ鞄は、 コートの隅に、小さく折れ曲がっている。 おそらく、秋の大会に向けて、 学内調整のためにこっちの校舎に来たのだろう。 今となっては、彼女を好きだったのかどうかもハッキリとは思い出せない。 けれど、自分とは違う存在に興味を持ち、好意を寄せていたのは事実だったと思う。 時々会うと、何故だろうという疑問を抱かされる、 それだけの存在かもしれないし、もっと特別な関係にある者同士かもしれない。 でも、それはどうでもいいことだった。 現実世界へと意識が戻ってしまったこの講義の残り時間を、再び有意義に、 少なくともレイチェル・カーソンの言葉を延々とただ訳していく彼の声よりも、 数倍有意義に過ごさせてくれたことに、タカシは感謝していた。 「それじゃぁ来週は五十二㌻の四行目から五十四㌻の一段落までを…」 息継ぎのない、不自然なまでに滑らかな口調で、 次回の和訳を指定していくその声。 ふと、この人も自分とは異なる存在なのだと気づく。 どうしてこんなにも短絡的に、ただ黙々と、毎週直訳だけを講義の中心にできるのか。 しかも、あのレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を教材にして。 もしかすると、発せられる言葉の意味を考えないような授業が増えているから、 面と向って言葉を交わした相手の気持ちも、読めなくなってきたのかもしれない。 言葉に顕れるその人の本心を慮る習慣がついていれば、今ごろ、 杏子とは仲良くなっていた可能性も、否定できないのではないか。 そんな他人任せな答えに辿り着いたところで、講義の声が途切れた。 レイチェル・カーソンから始まったこの講義は、本当の意味では、 たぶんずっと終わらない。 言葉のウワズミだけを掬い取って、わかったふりをしている間は、 全てが簡単に終わりを迎えてしまう。 でもその奥を探れば、全てが「どこか」でつながっていることに気づく。 そうしたら、自分はどうしたらいいのかが、少しずつ見えてくる。 タカシにはそんな気がしていた。 このあと、杏子を学食にでも誘ってみようか。 今度はどんな表情で、どんな反応をするんだろう。 そして、卒業までの半年間、あと何回彼女を思い出すのだろうか。 ジャンル別一覧
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